『鬼滅の刃』と仏教

2020年、世界がコロナ禍かで苦しむ中、日本では『鬼き滅めつの刃やいば』という漫画（アニメ・映画）が、まさに社会現象といっていいほど流行しました。グッズや単行本は売り切れ、最終巻の発売日には大行列ができて、ニュースになるほどでした。ヒットの要因は、時代設定を現代でも遠い昔でもなく大正という時代にしたことや、ジャンプ的な価値観である「努力・友情・勝利」を、これまでにない新しい表現方法で描えがいたところなどでしょうか。そしてもうひとつ、このサイト的に見逃せないことは、全体に漂ただよう絶妙に匂におわせられた「仏教っぽさ」でしょう。

いや、なにも私はここで、『鬼滅の刃』における仏教の影響を論じようというのではありません。そういうことを知りたければ、ぜひ「鬼滅の刃・仏教」で検索してみてください。「鬼は煩悩ぼんのうの象徴」、「炭たん治じ郎ろうは菩ぼ薩さつ道どうの行ぎょう者じゃ」、「頼より壱いちは釈尊しゃくそん」etc.etc.中には、「なるほど」と読ませるものもあれば、「ちょっとそれはこじつけじゃね？」、「いやまて、それは仏教じゃなくてただの倫りん理りだろ」みたいなものまで、さまざまな仏教的な考察こうさつであふれかえっています。ここで、それらの考察に批評を加えたり、新たな考察を発表したり、なんてことは全く考えていません（タイトルに魅ひかれてここまで読んでくださった方、ごめんなさい）。

そもそも、なにかが流行すると、そこに仏教的意味づけを見出みいだそうとすることは、よくあることです。例えば、映画『君の名は』（2016）でも「輪りん廻ね」という切り口で仏教的解釈を試みる考察がありましたし、『魔法少女まどか☆マギカ』（2011）では「輪廻」に加えて「救きゅう済さい」という仏教的キーワードで考察が試みられました（かくいう私も、「まどか=法蔵ほうぞう菩薩ぼさつ・ほむら=世せ自じ在ざい王仏おうぶつ」論みたいなものを書いた覚えがあります。恥ずかしいです。消したい過去です）。さかのぼっていきますと、宮崎みやざき駿はやお（1941-）の諸作品、『新世紀エヴァンゲリオン』（1995）、『うる星せいやつら２　ビューティフル・ドリーマー』（1984）、そして『機動戦士ガンダム』（1979）にいたるまで、その時代に流行したさまざまなものに仏教的な考察がなされてきました。まぁ、仏教は「はやりもの」に乗っかり続けてきた、と言い換かえられるかもしれません。

さて、ここでさらに時代をさかのぼってみましょう。ある一冊の仏教書が、平安時代の知識層（インテリ層）の中でベストセラーとなりました。西暦985年に源信げんしん（942-1017）が世に出した『往生おうじょう要集ようしゅう』です。この本の中で、詳しょう細さいに描びょう写しゃされた地獄の様子は、もうすぐ「末法まっぽうの世よ」（正しい教えも正しい人もいなくなり、混乱が極きわまる世界）が来ると信じられていた当時の人々にとっては、まるで来たるべき世界を暗示あんじしているかのように思えたのでしょう。その影響は『源げん氏じ物もの語がたり』をはじめとする数々の文学作品に及んでいます。また、知識層だけでなく、文字を読むことのできないいわゆる庶民しょみんの間にも、『往生要集』が描写する地獄の様子は「地じ獄ごく絵図えず」（六道ろくどう絵え）として、凄惨せいさんなビジュアルと共ともに広まっていきました（そういえば、『鬼滅の刃』にも凄惨なビジュアルが多用されていますね）。いま、私たちが地獄と言われて真っ先に想像する「針はりの山やま」や「血ちの池いけ」などは、『往生要集』の中に出てくるものです。そういう意味では、『往生要集』は千年以上の時を超えて、いまもなお、私たちの死生観に影響を与えているといって良よいでしょう。まさにベストセラー・オブ・ベストセラー、キング・オブ・はやりもの、です。

しかし、この『往生要集』には問題点がありました。「地獄に堕おちる者」の定義の中に、「獣けものや魚のいのちを奪い、その肉を捌さばき食くらう者」という記述があります。この記述は、当時すでに存在していた、いわゆる「猟りょう師し」や「漁りょう師し」といった仕事に携たずさわる人々へのいわれなき差別や偏見に「仏教的な正しさ」として利用されることとなりました。のちに、親鸞しんらん（1173-1263）が「そのような人々こそ、念仏の救済の目当てなのだ」と読み換かえても、なお差別と偏見は残り続けていきます。

一冊のベストセラーが、一方では永ながく人々の死生観に影響を与え続け優れた文学作品を生み出し、一方では差別や偏見に「仏教的な正しさ」として利用される結果となったのです。

そのようなことを思うと、私はその時代に流行している作品に安あん易いな仏教的考察を加えることは、危険なことのように思えるのです。それは、その作品を「仏教的な正しさ」として利用していることにならないでしょうか。「仏教的な作品だから良い作品だ」ということにならないでしょうか。

「キメハラ」という言葉があります。「鬼滅の刃ハラスメント」の略称りゃくしょうで、「セクハラ」「パワハラ」などのハラスメントの一種です。例を挙あげると「あんなに良い作品なのに、なぜ読まないの」、「どうして、この良さが理解できないの」、「絶対に映画は見た方がいいよ」などと一方的に自分の価値かち観かんをおしつけて、相手を黙だまらせる行こう為いのことです。『鬼滅の刃』を「仏教的な正しさ」として利用することは、この「キメハラ」にも当てはまるのではないでしょうか。釈尊は、あらゆる差別や偏見、そしてそれを産み出す「権けん威い」を否定するために「仏教」を説かれました。仏教はどのような形であれ、ハラスメントに加担かたんするようなことは、絶対にあってはならないと思います。そして、なによりも、『鬼滅の刃』は仏教的な考察を付つけ加えたりしなくても、それ自体で成立する優すぐれたエンターテイメント作品のひとつなのです。

これは私たち僧侶の力不足でもありますが、残念ながらこの時代に『往生要集』のようなド直球ちょっきゅうの仏教書が、ベストセラーになるようなことは難しいでしょう（これから先も絶対にない、とは言えないにしろ）。もしかしたら、その時代にはやっているものに乗っかって仏教を広めようとすることは、仏教界の悪あがきのあらわれなのかもしれません。しかし、この作品に限らず、「なにかを仏教のために利用する」ということは慎つつしまなければならない、と『鬼滅の刃』ブームの中で強く思うのです。

「利用していた」つもりが「利用されていた」、なんてことは世の常つねなのですから。

参考文献