玄奘 後編 ―国家的仏典翻訳事業―

【げんじょう こうへん こっかてきぶってんほんやくじぎょう】

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再び長安の時代

645年、玄奘はおよそ4年の歳月をかけて洛陽らくように帰った。帰路きろで多くの国で歓迎を受けた玄奘は、各地で講義を行っている。とうの皇帝太宗たいそうは、国禁こっきんおかした玄奘をこころよく迎え入れ、尊崇そんすう(とうとびあがめること)の念を表した。玄奘がインドなどから持ち帰ったのは、仏舎利ぶっしゃり(釈尊の遺骨として伝わる宝物)150粒、仏像8体、サンスクリット原典657部で、これを馬20頭が運んだという。太宗は、玄奘に還俗げんぞく出家しゅっけをやめて一般人になること)をして国の政務せいむを助けるように求めたが、持ち帰ったサンスクリット原典げんてん訳出やくしゅつを行いたいとして玄奘はこの誘いを断った。

太宗は、玄奘の意志をんで国立の翻経院ほんきょういん(※1)を設立する勅命ちょくめいを出して、玄奘の持ち帰った仏典の訳出やくしゅつを国家事業とした。玄奘は、翻経院のある長安ちょうあん弘福寺こうふくじに移ると、各地から訳出に必要な僧侶の人選を行い、その準備にとりかかった。

各地からの僧侶も集まり、その訳出体制が整うと、『だいさつぞうきょう』を初めに、さまざまな仏典ぶってんを手掛け、念願ねんがんの『瑜伽師地ゆがしじろん』も二年をかけて訳出した。またこの頃にインドへの旅の見聞録けんぶんろくである『大唐だいとう西域さいいき』も完成させた。その後、玄奘が慈恩寺じおんじへと移ると、慈恩寺の翻経院が訳出事業の中心となった。ここには、玄奘が持ち帰った、仏舎利や仏像、経典が散逸さんいつしないための建造物である大雁塔がいがんとう建立こんりゅうされている。玄奘の訳出に対する情熱はすさまじく、どこまでも原典に忠実で正確な訳出を心掛けたとされる。鳩摩羅くまらじゅう(仏教知識「鳩摩羅什」参照)に代表される「やく」(仏教知識「旧訳」参照)は、訳がけていたり、内容そのものが省略されていたり、音訳も正しくないとして厳しく批判した。そして、訳出する際に意訳いやくしてはならないものとして「五種不翻ごしゅふほん」(※2)の原則を確立したとされる。また、ヴァスバンドゥ(天親 玄奘訳は「世親」)(仏教知識「天親」参照)の『唯識ゆいしきさんじゅうじゅ』に対する諸注釈を『じょう唯識ゆいしきろん』(10巻)としてまとめて訳出すると、玄奘の弟子であるは、これを根本典籍こんぽんてんせきとする「法相宗ほっそうしゅう」(※3)をおこして、後の中国仏教に大きな影響を与えた。

658年、玉華寺ぎょくかじで『大般若だいはんにゃ波羅はらみっきょう』600巻の訳出を始めた。5年後の663年に終わり、これが玄奘最後の訳出となった。インドの旅から長安に帰って没するまで約20年、その訳出は75部1335巻に上る(※4)。かつて鳩摩羅什らが訳出した時代には、中国に仏教が浸透していなかったために、訳出事業が漢人僧かんじんそう漢族かんぞくの僧侶)と民衆への仏教講義としての役割も兼ねており、訳出に多くの時間を費やしていた。一方で玄奘がこれほどに仏典を訳出できたのは、国家の一大事業となったことと、この体制が講義などを並行しない、仏典を訳出するためだけの専門家集団であったからである。

664年、来世らいせ兜率天とそつてん(※5)内院ないいんへの往生おうじょうを願いながらぼっした。没する時の様子が『だいおん三蔵さんぞうほっでん』巻十にしるされている。

弟子光等問。和上決定得生彌勒内院不。法師報伝。得生。言訖喘息慚微。少間神逝。 (『大正新脩大蔵経』第50巻 277頁中引用)

〈現代語訳〉
弟子の光(=大乗光=晋光)らは、「和上はきっと弥勒の内院に生まれますでしょうか」と問うた。〔玄奘〕法師は「生まれ変われる」と答え、言い終わると、喘ぎは徐々に弱くなり、やがて逝去した。 (『仏教の聖者 史実と願望の記録』 138頁引用)

それは、一生をかけて唯識ゆいしきを学び続け、その唯識派(前編※5)大成者であるヴァスバンドゥ(天親 玄奘訳は「世親」)(仏教知識「天親」参照)が亡くなった後に兜率天内院に生まれ変わったという言い伝え(※6)があったからかも知れない。また、自らを凡夫ぼんぶであると認識していたがゆえに、阿弥陀あみだ如来にょらい極楽ごくらくじょうへの往生は、到底叶わないと考えていたようである。当時の一般的な仏教理解ではすべてのどくそなわる極楽浄土へは仏道ぶつどう修行しゅぎょうきわめた上位の菩薩ぼさつでしか往生できないと考えられており、凡夫が極楽浄土へ往生できるという考えは善導ぜんどう(613~681)以降のことである。

漢訳仏典は、鳩摩羅什からの訳経を「旧訳くやく」として、玄奘の訳出を画期かっきとして、「新訳しんやく」とする。玄奘が訳出した仏典は、鳩摩羅什らを批判して正確な訳出に力を注いだためにその学問的な文献としての評価は高い。しかし、民衆がその教えに親しんで唱える「お経」としては『般若はんにゃ波羅はらみっしんぎょう』などごくわずかである。あいにくにも、玄奘が不正確であると批判した鳩摩羅什が訳出した「お経」が民衆にとってはわかりやすい教えであり、現在に至っても親しんで唱えることのできる「お経」であった。

語注

※1 翻経院
寺院の一部に作られた仏典を訳出する特別な訳場やくじょうやくきょうどうじょう)。ほんきょうかんやくきょういんともいう。弘福寺や慈恩寺の翻経院は、唐の皇帝太宗の勅命によって国家事業とされた仏典訳出のために建てられた。
※2 五種不翻
意訳せずに音訳おんやくとどめるべき五種の分類。
ぜんほん
例:仏陀ぶっだ
意訳するよりもありがたく、修行や信仰の善い行いにつながるため。
みつほん
例:蘇婆訶そわか
陀羅尼だらになどは、意訳するとじゅじゅつてきこうがなくなるため。
ごん多義たぎほん
例:阿羅あらかん
原語が多義たぎ(複数)であり、意訳することで、他の意味が失われるため。
じゅんほん
例:のく多羅たらさんみゃくさんだい
前の時代から音訳されてそれが一般的になっている場合、あえて意訳する必要がないため。
無故むこほん
例:えんじゅ(神話的大樹)
中国にないぶつだから意訳できないため。
※3 法相宗
唯識ゆいしきしゅう慈恩じおんしゅうとも呼ばれる。玄奘がインドよりもたらした『成唯識論』を根本典籍として、玄奘の弟子である基によって創立された宗派。基は、玄奘が『成唯識論』の訳出する際に助手を務めている。
※4 玄奘の訳出した仏典
膨大ぼうだいな数の仏典を訳出しており、その数は1300巻を超える。あらゆる仏典中で最大となる『大般若経』や『瑜伽師地論』などの唯識派の諸論書を多数訳出した。以下に主な訳出仏典を挙げる。
題名 巻数 原典著者
だいさつぞうきょう 二十巻
じんみつきょう 五巻
だい般若はんにゃ波羅はらみっきょう 六百巻
般若はんにゃ波羅はらみっしんぎょう 一巻
せつ無垢むくしょうきょう 六巻
さつかいこんもん 一巻 弥勒みろく
さつ戒本かいほん 一巻 弥勒
瑜伽師地ゆがしじろん 百巻 弥勒
じょう唯識ゆいしきろん 十巻 護法ごほうなど
阿毘あびだつだいしゃろん 二百巻 五百ごひゃくだい阿羅あらかんなど
だつしゃろん 三十巻 世親せしん
だつじゅんしょうろん 八十巻 衆賢しゅげん
唯識ゆいしきじゅうろん 一巻 世親
しょうだいじょうろんぼん 三巻 じゃく
以上
題名と巻数は『大正たいしょう新脩しんしゅう大蔵経だいぞうきょう総目録そうもくろく』を参照した。『大菩薩蔵経』は『大宝積経』の中「菩薩蔵会」である。
※5 兜率天
兜率とそつはサンスクリット(梵語)で「トゥシタ」の音訳。欲望にとらわれた生きものが住む欲界よくかい第四天だいよんてん釈尊しゃくそんめつ56億7千万年経ってから地上にくだることになっているろく菩薩ぼさつがいる所。弥勒菩薩のいる宮殿くうでん内部ないぶ内院ないいんでは、弥勒菩薩の説法せっぽうけて仏道ぶつどう修行しゅぎょうはげめるが、宮殿がい外院がいいんでは仏道修行には無縁むえんで欲望にとらわれて迷いを断ち切ることができないとされる。
※6 ヴァスバンドゥが往生した言い伝え
大唐だいとう西域さいいき』巻五に、インドのアヨーディヤ国で聞いた言い伝えとして、ヴァスバンドゥが没してから半年後、まだ存命中の兄アサンガが説法をしているところに下りてきて、「兜率天に行き、弥勒の内院の蓮華れんげの中に生まれた」と話したという。

参考文献

[1] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
[2] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)
[3] 『新編 大蔵経―成立と変遷』(京都仏教各宗学校連合会編 法蔵館 2020年)
[4] 『仏典はどう漢訳されたのか―スートラが経典になるとき』(船山 徹 岩波書店 2013年)
[5] 『仏教の聖者 史実と願望の記録』(船山 徹 臨川書店 2019年)
[6] 『大蔵経の歴史―成り立ちと伝承―』(宮崎展昌 方丈堂出版 2019年)
[7] 『玄奘』(三友量順 清水書院 2016年)
[8] 『大正新脩大蔵経 第50巻』(大蔵出版 1990年)
[9] 『大正新脩大蔵経総目録』(大蔵出版編集部編 大蔵出版 2007年)

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