妻帯

【さいたい】

妻帯とは妻を持つこと(結婚すること)である。ここでは僧侶の妻帯について解説する。

仏教における妻帯

仏教にはかいがある。五戒とはざい信者が保つべき5つの習慣で、殺生せっしょうかいちゅうとう戒・邪婬じゃいん戒・もう戒・飲酒おんじゅ戒がある(仏教知識「持戒」も参照のこと)。「不邪婬戒」(よこしまな性行為を禁ずる)はしゅっしゃの場合は「いん戒」(性行為を禁ずる)になる。五戒は原始仏教(インド仏教最初期の段階)時代に既に成立していた。つまり仏教においては当初より僧侶の妻帯は禁止されていた。

日本仏教における妻帯

仏教知識「しん」でも述べたように、日本の仏教においても僧侶の妻帯は禁じられていたが実際には大勢の僧侶が公然と妻帯していた。

なお元々は日本において僧侶の結婚は禁じられており、9世紀末には処罰された例もある。しかし10世紀から16世紀末までは野放しになっており、そればかりかじっへの財産の相続権が認められるなど、僧侶の妻帯は公的に認められていた。僧侶たちも公然こうぜん妻帯さいたいしていた(『改訂 歴史のなかに見る親鸞』P.95-99 を参考にした)。

(仏教知識「恵信尼」より)

16世紀末になると豊臣とよとみ秀吉ひでよしが僧侶の妻帯を禁止した。それ以降、江戸時代には再び僧侶の妻帯が厳しく罰せられるようになった。なお後で述べるように浄土真宗についてはその限りではなかった。

1872年(明治5)には明治政府により僧侶の妻帯や肉食にくじきを許可する法律が出された。これにより全ての宗派において妻帯が禁止されなくなった。詳しくは仏教知識「肉食妻帯」を参照のこと。

法然ほうねんの考え方

親鸞の師匠であり、浄土宗の宗祖である法然の言葉を紹介する。

「現世の過ごし方としては、念仏がよく称えられるように過ごすのがよいのです。念仏の妨げになると思われることは、避けて行わないようにすべきであります。(略)妻子らを捨てて聖となっては念仏が申されなければ、妻子らと一緒に暮らす在家になって申せばよいでしょう。

(『現代語訳 法然上人行状絵図』第四十五巻 第二段 P.472 より)

法然自身は妻帯していなかったが、このような見解を示していた。念仏が称えられることを最優先にし、他のことについては柔軟に考えていた。

親鸞の妻帯

親鸞は妻帯していた。先に述べた通り、親鸞の生きた12-13世紀では僧侶の妻帯はありふれたことであった。そのため「親鸞は妻帯した初の僧侶である」と考えるのは誤りである。親鸞の画期的だった点は妻帯したことではなく、そのことに意味を見出して革新的な教えを構築していったことにある。

恵信尼

親鸞の妻に恵信尼という女性がいた。恵信尼は親鸞の妻として実在が確認されている唯一の人物であり、他に妻がいたかどうかはわからない。恵信尼については詳しくは仏教知識「恵信尼」を参照のこと。

たま

かつては恵信尼のほかに玉日という女性が親鸞の妻であると伝えられてきた。1921年(大正10)に本願寺の宝庫から『恵信尼しょうそく』が発見されたことにより恵信尼の実在が確認され、1924年(大正13)・1925年(大正14)に玉日伝説に関する研究成果が発表されると、親鸞と玉日の結婚が架空の物語であることが決定的になった。玉日は九条くじょう兼実かねざねの娘とされ、室町時代にあらわされたといわれる『親鸞しんらん聖人しょうにん因縁いんねん』などに登場する。ここには次のような話が書かれている。

『親鸞聖人御因縁』に記された物語

(法然の元で専修せんじゅ念仏の教えを受けていた)月輪つきのわ法皇ほうおう(九条兼実のこと)が、黒谷くろだににいる法然のところへ行って「出家者の念仏と、俗人である私の念仏には効果の差があるのではないでしょうか?」と質問をした。法然は「そこに違いは全くない。善導ぜんどうだいもそうおっしゃっている。」と答えた。九条兼実は「それならば法然聖人の弟子の中から今まで女性との交わりを全くしていない僧侶を1人選んで俗人になってもらって下さい。(※1)」と言った。法然はこれを了承し、その僧侶に親鸞を指名した。

当時38才だった親鸞はこれを拒絶したが、法然は「お前がここに来たのは六角堂での観音かんのんさつのお告げ(※2)があってのことだろう。その通りにらくしなさい。」と言った。そして法然は親鸞が聞いたお告げの内容を書き記した。親鸞が誰にも教えたことのないお告げの内容を法然が当てたことで、そこに居た人たちは驚いた。親鸞はそれ以上抵抗しきれず、九条兼実と共に車に乗り、五条西にしの洞院とういんにある屋敷へ行き、九条兼実の7番目の娘である玉日と結婚した。3日後、夫婦が法然のところに来ると、法然は玉日を見て「問題ない坊守ぼうもりだ」と言った。

なお、この箇所については『親鸞 ―主上臣下、法に背く―』 P.75-77 と『親鸞の妻玉日は実在したのか?』P.10-16 を参考にして筆者が要約した。

※1 「それならば~」
「俗人の称える念仏でも往生できるかどうか、法然の弟子を使って試してみよ」ということ。
※2 観音菩薩のお告げ
仏教知識「聖徳太子」の「行者ぎょうじゃ宿報しゅくほう」を参照のこと。

つまり在家の者でも念仏によって往生できることを証明するために、法然の指示によって親鸞は結婚したという話である。しかし、九条兼実には娘が1人しかいなかったこと、皇族こうぞくではない九条兼実が法皇と呼ばれるはずがないこと、当時の法然は既に(叡山えいざんの)黒谷を去り東山ひがしやま吉水よしみずにいたこと、親鸞の年齢を間違えている(38才なら既にざいになり越後にいたはずである)ことなどこの話には多数の誤りがあることから、作り話だと考えられる。

浄土真宗における妻帯

浄土真宗では最初から僧侶の妻帯は禁じられていない。現在、じょうしんしゅう本願ほんがん寺派じは門主もんしゅ(本願寺(西本願寺)の住職じゅうしょく)をつとめているのは親鸞の子孫(第25代)である。一般の寺院においても実子が住職を継ぐことは多い。

先に述べたように豊臣秀吉の時代から明治5年まで(≒江戸時代)には僧侶の妻帯が禁じられていた。しかしその中でも一部の宗派は妻帯を公認されており、浄土真宗はその一つだった。

参考文献

[1] 『歴史を知り、親鸞を知る10 親鸞の妻玉日は実在したのか? ―父とされる関白九条兼実研究を軸に―』(今井雅晴 自照社出版 2017年)
[2] 『親鸞 ―主上臣下、法に背く―』(末木文美士 ミネルヴァ書房 2016年)
[3] 『改訂 歴史のなかに見る親鸞』(平雅行 法蔵館 2021年)
[4] 『肉食妻帯考』(中村生雄 青土社 2011年)
[5] 『現代語訳 法然上人行状絵図』(浄土宗総合研究所 浄土宗出版 2013年)
[6] 『岩波 仏教辞典 第二版』(岩波書店 2002年)
[7] 『浄土真宗辞典』(浄土真宗本願寺派総合研究所 本願寺出版社 2013年)

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