持戒（持戒波羅蜜）

六波羅蜜の中の二つめ。梵語ぼんごシーラの漢訳かんやく。音訳おんやくでは尸羅しらとなり、「尸羅波羅密」ともいう。仏道修行の基本とされる「戒かい（持戒）・定じょう（禅定ぜんじょう）・慧え（智慧ちえ）」の三学さんがくの筆頭にも挙げられている。

戒

「戒」とは出家・在家を問わず仏教に帰依きえした者が自発的に守るべき規範であり、破ったとしても具体的な罰則は制定されていなかった。

律

梵語ヴィナヤ（Vinaya）の漢訳。音訳では毘奈耶びなや、毘尼びにとなる。出家者に課せられる仏教教団（梵語サンガ、音訳で僧伽そうぎゃ）の運営に必要な決まりごとであり、破った場合は教団の追放などの処罰が課せられた。中国仏教においては「具足ぐそく戒かい」（ウパサンパダー）とも呼ばれる。

仏教が中国に伝来した際に、この「戒」と「律りつ」をあわせて「戒律」とされた。この戒律を守ることを「持戒」という。

さまざまな戒律

仏教教団における戒律の数は出家・在家、男女、具足戒の受戒じゅかいの有無によって、細かく分かれている。

在家信者（優婆塞・優婆夷）の五戒・八斎戒

五戒

• 不ふ殺生せっしょう戒 - 殺生をしない
• 不ふ偸盗ちゅうとう戒 - 盗みをしない
• 不ふ邪婬じゃいん戒 - 配偶者以外との性行為をしない
• 不ふ妄語もうご戒 - 嘘をつかない
• 不ふ飲酒おんじゅ戒 - 酒を飲まない

八斎戒

一ヶ月のうちに定められた六回の斎さい日にち（六斎日）には次の八斎戒を守ることとされた。

• 不殺生戒
• 不偸盗戒
• 不ふ婬いん戒 - 性行為をしない
• 不妄語戒
• 不飲酒戒
• 不ふ歌か舞ぶ観かん聴ちょう戒 - 歌舞かぶ音曲おんぎょくを観たり聴いたりしない。
• 不ふ坐ざ高こう広大だい床しょう戒 - 地面に敷いた薄い寝具のみで眠り、広い布団や座布団などを使わない。
• 不ふ塗ず飾しき香こう鬘まん戒 - 体に装飾品や化粧、香水などをつけない。

以上の八戒に加え、斎つつしみとして

• 不ふ非ひ時じ食しき戒 - 正午から次の日の日の出まで食事を取らない

が、加えられ八斎戒とされた。

沙弥・沙弥尼の十戒

具足戒を授かる前の未成年の出家者を沙弥・沙弥尼と呼び、次の十戒を守ることとされた。

• 不殺生戒
• 不偸盗戒
• 不婬戒
• 不妄語戒
• 不飲酒戒
• 不歌舞観聴戒
• 不坐高広大床戒
• 不塗飾香鬘戒
• 不非時食戒
• 不ふ蓄ちく金銀こんごん宝ほう戒 - 一切の金銀財宝などを所有しない

比丘・比丘尼の戒律

具足戒を授けられた出家者を比丘・比丘尼と呼ぶ。具足戒は、具体的な律を示した波羅はら提だい木叉もくしゃ（パーティモッカ）とその説明である経きょう分別ふんべつ（スッタヴィバンガ）、仏教教団（僧伽）の実際的な運営方法を定めた犍けん度ど（カンダカ）、補足事項である付随ふずい（パリヴァーラ）と呼ばれる典籍てんせきにまとめられており、それに反すると、懺さん悔げ（罪を悔い改めること）や出家身分の停止などの処分が課せられた。最も重い罪は教団追放と生涯にわたる再出家の禁止を定めた波羅夷はらい罪であった。これらの律をまとめたものを『律蔵』（ヴィナヤ・ピタカ）という。

波羅提木叉は月二回の新月と満月の夜に行われる「布ふ薩さつ」と呼ばれる行事の際に読み上げられ、集まった比丘・比丘尼たちは、自分が具足戒に反していないかどうかを点検した。

『律蔵』には、パーリ語や漢訳を含めて『パーリ律』、『四分律』、『五ご分律ぶんりつ』、『十じゅう誦じゅ律』、『僧祇そうぎ律』、『根本こんぽん有部うぶ律』の六種類が現存している。この中でも『四分律』は鑑真がんじん (688-763) によって日本に伝えられ、律宗りっしゅうの開宗と東大寺の戒壇院かいだんいんの設立につながっていく。

具足戒と大乗戒（菩薩ぼさつ戒）

釈尊しゃくそんの没後、「出家・在家を問わず人は皆、仏ぶつとなれる」という大乗だいじょう仏教運動が起こり、その運動の展開に従って「戒律」の性格も変わっていった。そこで唱となえられたのが「大乗戒（菩薩戒）」である。大乗戒は、出家・在家を問わず仏道修行に励む者、すべてが守るべき戒であるとされた。なお、日本においては鑑真がんじんの来日以降、東大寺などの三つの戒壇院で当時の中国と同様に具足戒とともに大乗戒が授戒されていた。しかし、のちに設立された延暦寺の戒壇院では、最澄さいちょう (767-822) の主張に沿って大乗戒のみが授戒されている。これは当時の南都六宗が独占していた授戒制度に反する形となり、比叡山と南都の間に長く禍根かこんを残すこととなった。また、延暦寺で受戒した僧侶は、具足戒を受戒していないために当時の中国の僧侶から認められることがなかった。例えば、曹洞宗の開祖道元どうげん (1200-1253) は、比叡山で受戒したのちに具足戒を受戒せずに入宋にっそう（中国への留学）したために、到着地である寧波ねいは（現在の中国浙せっ江省こうしょう）において三か月間、禁足されている。

大乗戒について書かれた経論として代表的なものに『瑜伽ゆが師地しじ論ろん』と『梵網経ぼんもうきょう』があるが、『梵網経』は現在では中国で成立した経典であるとの説が有力となっている。

参考文献

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